ミラノの高級エリアにあるお屋敷美術館!バガッティ・ヴァルセッキ美術館について徹底解説!

ミラノの高級エリアのモンテナポレオーネ。名だたるハイブランドのお店が立ち並ぶ、ファッションの街ミラノを代表する地区です。バガッティ家の兄弟が集めた貴重で優雅なコレクションを楽しめるバガッティ・ヴァルセッキ美術館について。

目次

バガッティ・ヴァルセッキ美術館の基本情報

バガッティ・ヴァルセッキ美術館は、ファウストとジュセッペのバガッティ・ヴァルセッキ家の2人の兄弟が収集した貴重で優雅なコレクションが展示されています。

Museo Bagatti Valsecchi
ジャンル:美術館・博物館
住所:Via Gesù, 5, 20121 Milano MI, Italia
電話:+39 02 7600 6132
E-mail:info@museobagattivalsecchi.org
公式サイト:https://museobagattivalsecchi.org

1880年代に2人の兄弟は、家族の為に16世紀に建てられたこの屋敷の改修を始め、同時に15、16世紀の絵画の収集を始めました。貴重なコレクションを展示する為に、16世紀のロンバルディア州の住宅に着想を受け、建てた家がこのバガッティ・ヴァルセッキ美術館です。

この夢のようなプロジェクトは、当時珍しかった暖房、水道、電灯など、未来的なものを自宅に集中させました。それは、最大限の洗練を融合させたいという兄弟の願望によるものでした。ファウストとジュセッペの死後、1974年まで相続人が住み、同年バガッティ・ヴァルセッキ財団を設立し、2人の貴重なコレクションが財団に寄贈されました。

20年後の1994年に一般公開され、ヨーロッパで最も保存状態が良い住宅美術館の1つとして、イタリア人だけでなく、世界中の観光客に人気があるミラノを代表する観光スポットとなりました。

チケット購入方法と入場料

チケットは、美術館を入ってすぐにあるカウンター、もしくはオンラインで購入することができます。公式サイトでは、オンラインで予約購入(1ユーロが手数料としてプラス)をおすすめしていますが、現地で良いと思います。

金額
一般料金12ユーロ
特別割引料金
(公式サイトで要確認)
9ユーロ
6−17歳2ユーロ
大学生割引
(身分証明書要提示)
9ユーロ
シニア割引
(65歳以上)
9ユーロ
0ー5歳無料

特別割引料金の詳細は、公式サイトで確認してください。シニア割(65歳以上)の方は、パスポートを提示してください。

大学生割引は、日本の学生証でできるかは分かりませんが、イタリアは適当なので持っていたら出してみてください。大学名が、英語での表記が少なくともされている必要あり。(〇〇 UNIVERSITY)

開館日・時間と休館日

開館時間が曜日によって変わるので、要注意。観光の際は、何曜日に訪れるのかを踏まえて、スケジュールを組みましょう!

開館時間閉館時間
月曜日休館
火曜日休館
水曜日13時00分20時00分
木曜日13時00分17時45分
金曜日13時00分17時45分
土曜日10時00分17時45分
日曜日10時00分17時45分

アクセス

最寄駅は地下鉄M3(黄色)のモンテナポレーネから歩いて約5分。ドゥオモ(Duomo)から一駅。チェントラーレ(Centrale FS)から3駅です。

各部屋と見所について

入り口に無料の日本語オーディオガイドの案内(QRコード)があります。現地のSIMカードを購入、ポケットWi-Fiをレンタルをしてきた人は是非利用しましょう。説明を聞きながら回るとより興味、関心が高まりますよ。

※写真は直接撮影したものなので、ライティングやピントの関係で細かい所など見にくいものもあると思いますがご了承くださいませ。

入り口の階段(Scalone d’ingresso)

入り口は、美術館のチケット売り場の後ろにある美しい鉄製の手すりのある階段です。この階段を登ると、武器が見える部屋があるのですが、その部屋を背にして進み、大きなドアから入るとファウストの主要住居となりそこからスタートです。

2人の兄弟は、華やかなルネッサンス様式の住居部分を分けながら一緒に住んでいましたが、応接間などは共用していました。

フレスコの間(Sala dell’Affresco)

入り口から入ってすぐにあるフレスコの間。兄のファウストの主要住居で、バガッティ・ヴァルセッキ家の特徴であるルネッサンスの複雑でエレガントな雰囲気を醸し出しています。特別な日に、この部屋は結婚式や洗礼を祝うプライベートチャペルとして使用されていました。

絵画や家具と一緒に、木の長椅子、陶器、鉄の装飾品といった実用的な芸術品も一緒に飾られています。ルネッサンス時代の邸宅を再現すると言う目的で、昔の人々が毎日の生活で実際に使っていた家具や道具も収集しました。

フレスコの間は、1495年に描かれたベルガモの画家アントニオ・ボゼッリ(Antonio Boselli)の「慈悲の聖母(Madonna della Misericordia)」から由来しています。聖母マリアが足元にひざまずく人々をマントで包み込む姿を表したテーマの宗教画で、他にも多くの画家が描いています。

中央にいる大きな聖母がマントの下の2人をかばっている様子が描かれています。この2人はフラジェラント(Flagellant)と呼ばれる14世紀の西洋キリスト教内で、人気を博した鞭打ち主義の信徒です。信徒たちは、戦争、飢餓、疫病、キリスト教終末論の1つ千年王国によって引き起こされた恐怖に対して、公共の場で悔い改めの儀式として自分自身の肉体に鞭を打っていました。そして、鞭打ちをすることが災いの停止を神から得る手段として信仰されていました。

ベヴィラックアの間(Sala Bevilacqua)

ベヴィラックアの間は、ファウストの優雅な客室です。19世紀末にバルセッキ兄弟がデザインし、作成した貴重なオリジナルのタペストリーが現存しています。ルネッサンス美術からヒントを得て、アザミと城の木のモチーフが描かれており、装飾モチーフが不均衡に並ばないように規則的に配置されてるのが特徴です。

暖炉の向かいには、スレート板を貼った折りたたみ式の椅子と箱型の椅子があります。椅子の肘掛けには、奇妙な海の動物が掘られており、細かい装飾を楽しむことができます。

部屋に飾られたパネル画は、ミラノの画家アンブロジオ・ベヴィラックアが描いた「聖母と子供」で、この画家の名前が部屋につけられています。制作されたのは15世紀終わりから16世紀始めにかけてで、様々な違った素材がコラージュのように表面に使用されています。ビロード素材、金、宝石が使われた豪華な装飾が見所です。

図書館

ベヴィラックアの間の隣にあるのが図書館です。ここには兄弟が館の内装するにあたって調べた多くの19世紀の美術、建築雑誌が収められています。雑誌には、今でも兄弟が注意書きを入れたところや、2人の特に興味を引いた部分を書き写した薄いトレーシングペーパーが挟まっています。

ファウストの寝室

ベッドがある部屋は、ファウストの寝室です。このベッドは、ロンバルディア地方の肥沃な谷間ヴァルテッリーナにあったヴィスコンティ・ヴェノスタ家の邸宅にあったものです。この寝室には、コレクションの中でも貴重なものが多くあります。

ベッドの右側のサイドテーブルには頭蓋骨の形をした時計が置いてあり、「自分がいつか死ぬことを忘れるな」という意味のメメントモリと言うラテン語の名つけられていて、人生の儚さを語っています。19世紀のこの不吉な時計は、ファウストがルネッサンス時代や19世紀末に流行していた象徴的な印の意味を探していたことを示しています。

ベッドの上を飾る大きな祭壇画は、レオナルドダビンチの弟子であったジョヴァンニ・ピエトロ・リッツォーリ、通称ジャンピエトリーノによって描かれたものです。ファウストにとって、ダヴィンチの学弟子の1人の作品を自分の寝室にかざることは、偉大なルネッサンスの芸術家に対する深い敬愛の念を示す行為だったと解釈されています。

象嵌大理石の床は、カーペットに見えるようにデザインされました。

前室(Vestibolo)

ファウストの寝室奥にある16世紀の2つのステンドグラス窓で飾られた小さな前室は、バスルームに繋がっています。鮮やかな色使い、細かい装飾を間近で見ることができます。

バスルーム

このバスルームは、バガッティ・ヴァルセッキ家の哲学を解釈することができる最高の例と言われています。ルネッサンス美術への愛情と現代的な機能の融合を家具に結実させることが、ヴァルセッキ家の館の改修理念だったからです。

浴槽のすぐ上にあるアーチの部分にたくさんの小さな花模様の彫刻があります。真ん中にある花模様が外側より黒ずんでいますが、これがブロンズで作られたシャワーの噴き出し口です。

アンティークのように見えますが、当時の最新の流行であったシャワーがついた特別な家具でした。大理石でできた浴槽は、この浴室のために特別に作られたものです。

バガッティ・ヴァルセッキ家は、19世紀において既に電気を取り付けており、すべての部屋を電気で温めていました。地下室のボイラーから放出された熱が、巾木に沿って取り付けられた金属の格子を巡って家中を温める仕組みとなっています。

迷路の部屋

この迷路の間は、天井の装飾から由来され、ファウストの主要住居のうち最後のものです。16世紀の公爵家の館の天井をヒントに作られました。迷路の外側の端から真ん中に向かって「はじめ良ければ全て良し」と言う意味のラテン語の名が刻まれています。イタリア語の諺では「Chi ben comincia è a metà dell’opera.(キ・ベン・コミンチャ・エ・ア・メタ・デッロペラ)」と言います。

テーブルに、鍵、南京錠、カトラリーなどの小さな道具やアンティークの品々が並べられていて、当時の貴重な日用品を見ることができます。

ガレッリア・デッラ・クーポラ

クーポラ(Cupola)は、半球形につくられた天井や丸天井、ドームの部分のことです。ガレッリア・デッラ・クーポラは、天窓のドームから由来されていて、大広間に隣接しています。兄ファウストと弟ジュゼッペの居住空間を繋いでいます。

バガッティ・ヴァルセッキ美術館のコレクション中で、最も重要な陶磁器の一部が展示されています。

1678年に作られた大きな花瓶が見所の一つです。

ヴァルテッリーナ・ストーブの間

ヴァルテッリーナ・ストーブの間は、弟ジュゼッペ、妻カロリーナ・ボロメオと子供達が住んでいた部屋で、 客間として使われていました。名前の由来はストーブがあったからではなく、この部屋を飾る木製のハメ板にちなんでつけられました。

暖炉の上には、「誰であれ、ここにいない人の悪口を言って、喜ぶものはこの暖炉の前に座ってはならない」ということがラテン語で書かれています。

この部屋では、当時使われていた様々な貴重な家具を見ることができます。座り心地の良さそうなベルベットのソファーは、典型的な19世紀の家具でこの館の象徴的な家具です。

このピアノは、実際にカロリーナが弾いていたものです。鍵盤蓋を閉めると、ルネッサンス様式の食器棚のような見た目になるのが特徴です。

バガッティ・ヴァルセッキの戸棚(Cabinet Bagatti Valsecchi)

小さい部屋にある戸棚には、ヴァルセッキ家の思い出の品や日常生活で使用していた物などが入っています。引き出しをひとつずつ開けて見ていくと、1974年まで住んでいたヴァルセッキ家の子孫について知ることができます。

赤い部屋(Camera Rossa)

赤い部屋は、ジュゼッペとカロリーナの寝室です。結婚した1882年に完成し、ドアとタンスの上にはヴァルセッキ家の紋章のユリの花とボロメオ家の連なった輪の模様のモチーフを見ることができます。

この部屋の中心にあるのは、18世紀にシチリアで作られた金箔の凝った装飾がされた鉄製のベッドです。

ジュゼッペとカロリーナの間には5人の子供が生まれ、この部屋にある子供の為のアンティークの家具一式が、その時代を彷彿させます。16〜17世紀にロンバルディアで作られた幼児の歩行器は必見。世界に一つしかないものすごく貴重な骨董品です。

緑の部屋・ジュゼッペの部屋

ジュゼッペは、貴族の家庭の慣習に従って、夫婦の寝室とは別に1人だけの寝室を持っており、プライバシーと自由の空間を維持することができました。館の奥に位置し、当時の壁紙を覆っていた色にちなんで緑の部屋とも呼ばれていました。

夫婦の寝室の家具とは違って、厳しい男性的な雰囲気を醸し出しています。2つある奥のドアは、1つは浴室で、もう1つは着替えの部屋につながっています。

暖炉の上には、ジュゼッペのモットーの「私はたくさんを欲し、少しを望み、何も要求しない」と書かれています。また、壁には「富も高名な先祖の名も必要ではない。ただ、正直さと知性のみが人を立派にする」とラテン語の名が書かれています。

晩餐の間

晩餐の間は、貴族の屋敷の中で最も絢爛ある場所で、家の富と位の高さを保持するところでした。

ジュゼッペの妻カロリーナは、毎週木曜日の午後にこのサロンに客達を招いていました。当時の貴族社会の風習では、上流階級の優雅な女性たちは、週に1度同じ身分の家から客を招いて、お茶やお菓子を出すことになっていたのです。こういった習慣によって、ミラノの上級階級の家庭は、友好な関係を保つことができました。

ファウストとジュゼッペの兄弟は、サロンをもっと豪華にするために、天井の高さを普通の2倍にまで引き上げました。天井が高いのですごく広く感じますね。

木製の天井は、金メッキした松ぼっくりで飾られています。

食堂

食堂は、ヴァルセッキ家の家族と多くの客人が食事をしていたところです。陳列棚には、当時使われていたと思われるガラスや食器が飾られています。

暖炉の左側のドアは、召使いや給仕人たちが食事を用意するパントリーです。食事の匂いが他の部屋に移ることがないように用意された食べ物はまとめて台に乗せて、1階の台所から直接パントリーに運び込まれていました。

壁は4枚のタペストリーで覆われています。1570年ごろにブリュッセルで織られ、ペルシャの王様シルスの生涯が描かれています。

サンスピリト通りに面した大階段と柱廊玄関

見学時にロープがかかっていたので、階段を降りることができませんでしたが、階段の下に当時使われていた入り口があります。現在では入り口として機能していませんが、当時はこの入り口があることで、ファウストとジュゼッペの居住スペースはそれぞれ独立できていたようです。

階段下には、巨大な暖炉とルネッサンス様式のモチーフがデザインされた大理石の柱とアーチの入り口があり、当時この館を訪れた客人を驚かせたそう。

兵器の間

最後に通るのが兵器の間です。バガッティ・ヴァルセッキ家の豊富な甲冑と武器のコレクションは、その迫力に多くの人が驚くと思います。武器のコレクションは、貴重なアンティークの家具に負けず劣らず見所の1つです。

壁に沿って槍と投げ槍が並んでいます。元々は農場で使われていた道具でしたが、後に軍隊の中で1番身分の低い歩兵達の武器として使われるようになりました。

これらの武器は、敵の騎士たちを馬から落とすだけなく、馬の足の腱を切るためにも使われました。武士道の精神では、禁じられる卑劣は手ですが、現実の戦闘の混乱の最中では、どんな手を使っても許されました。これは想像するだけでゾッとしますね。

ルネッサンスの時代にロンバルディア地方、特にミラノは最高級の武器を製造することで有名でした。

現代の発明である銃火器は、一つもありません。銃はルネッサンス時代にまだ広まっていないことを考慮して、ファウストとジュゼッペは時代考証されたオブジェのみを残しました。間近でじっと見ていると、少し怖さを感じますが、非常に興味深いです。

最後に

バガッティ・ヴァルセッキ美術館は、貴重なアンティークを身近に見ることができるお屋敷美術館です。絵画や彫刻よりも、身近なアンティークの方が入りやすいアートだと思います。お屋敷美術館と呼ばれているように、部屋の作りや装飾なども見所です。1時間ほどで回れるバガッティ・ヴァルセッキ美術館ぜひお楽しみあれ。

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この記事を書いた人

イタリアに3度旅行で訪れ、その後ミラノでメンズ服のデザイン留学をした東京生まれ千葉県育ちの日本男児。実際に住んでみてわかったこと、旅行だから感じることをベースに記事を書いています。イタリアに旅行をしたい日本人、日本を旅行したいイタリア人がもっともっと増えてほしいなぁと思っています。

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